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日本における同調圧力
日本では、同調圧力が強く、周りの目を気にして、周りに合わせなければいけないという傾向があり、そのことで生きにくいと感じている人がいます。たとえば、コロナパンデミックでマスク着用が当たり前になりましたが、マスク着用が任意となった現在でも、日本では着用を続ける人も少なくないようで、パンデミック前の状況には戻っていないようです。なかなかマスクを外せないことを、同調圧力として辛く感じている人もいます。
一方で、海外に出れば、同調圧力はないのでしょうか? フランス在住で日本とフランスの間を頻繁に行き来している筆者が、パンデミックが始まった頃に、日本からフランスへの乗り継ぎで降りたヘルシンキ空港の様子から考察します。
マスクに関する「当たり前」とは?
例1.もともとフランスでは、マスク着用は禁止されていた。過去の事例。
筆者がフランス人の夫と結婚して、パリに住み始めた約25年前のことです。筆者はもともと、日本で花粉症の時期にはマスクをして出かける習慣があったので、パリでも花粉の季節が始まったときに当然のようにマスクをして出かけようとしていました。すると夫が血相を変えて飛んできて、「そんな恰好で外に出たら、テロリストだと思われて逮捕されるぞ!」と言ったのです。
そのときまで、筆者は全然知りませんでした。「逮捕される」というのは大げさだったとしても、公共の場で顔の一部を隠しているというのは、フランスでは怪しいことで、警察から職務質問されても仕方がないことだったのです。その後に引越ししたドイツでも同じ状況で、毎年花粉の季節に、マスクができないのが悩みの種でした。
また、そのようなセキュリティの問題だけでなく、「マスクをしていること=なんだか心配な大きな病気を持っている人」と見られる行為だったので、危ない病気を持っていると思われて敬遠される、というのもありました。
その後、フランスでは2回ほど病気の蔓延防止のために保険省からマスク着用が推奨されることがありましたが、一般的にはならず、同時にテロ防止の意味で、顔の一部を隠すことは相変わらず怪しいこととされていたため、マスクを着用している人はほとんどいない状態でした。それが、コロナ以前の私が知るフランスでのマスクの状況だったのです。
例2.コロナパンデミックが始まった時に、ヘルシンキ空港に存在していた真逆の同調圧力。
時が流れ、日本でコロナパンデミック騒ぎが始まった2020年2月、筆者は日本に一時帰国していました。日に日にエスカレートしていく報道に、すっかりおびえていたのですが、フランスにいる夫に連絡すると、「フランスでは、まだ誰もコロナの話なんかしていない。心配しないで、早くフランスに戻ってきなさい」との言葉。その後の2月末、筆者がフランスに戻った直後から、フランスでも大騒ぎとなるのですが、その時はまだ日本とフランスの報道には大きな温度差がありました。
2月末、筆者はフィンエア航空に乗り、大阪からヘルシンキ経由でパリに戻りました。その時のヘルシンキ空港での経験は、本当に不思議なものでした。まず大阪からヘルシンキ行きの便の中では、皆が当たり前のようにマスクをしていました。日本から飛行機に乗った乗客にはコロナウイルスに対する恐怖心が強くありましたから、当たり前です。マスクを外すことなど考えられない状況でした。
しかしその後、ヘルシンキで飛行機を降り、税関を通ってEUに入った途端、その状況は真逆となったのです。税関を抜けたその先は、その当時のヨーロッパの常識が通用するエリアでした。ですから、マスクをしていたら「変な病気を持っている」あるいは「テロを企てている危険人物」という目で見られたのです。ですから、コロナにおびえながらも、筆者もマスクを外さざるをえなかったのです。
ヘルシンキ空港という同じ建物の中で、税関を境にして真逆の世界が存在する不思議。この時、当たり前は多様で、同調圧力というのは、どこにでもあるのだと思ったのです。
まとめ
このように、強さや感じ方は違っても、日本以外の場所にも同調圧力というものは存在します。もし、他の国や場所で、現在自分がいる場所の当たり前と全く真逆の当たり前が存在することを知ったり、想像したりできれば、考え方に選択肢が生まれ、生きづらさが軽減されるのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。
現在、フランスではマスク着用の人はほとんどいませんが、少数でも病気を恐れてマスクを着用している人もおり、個人の選択に任せられているといった状態です。おかげで、私も花粉の季節にマスクをすることが可能になり、ありがたく思っています。
[執筆:ベラール 聰子(日本語教師/海外子育て日本語教育サポート)]
※画像:Jo Panuwat D / PIXTA(本文とは直接関係ありません)