女性の妊娠・出産に関して心のケアが必要なものに、流産、死産、中絶、産後うつなどがあります。しかし中絶経験をした女性の心のケアは、まだまだ進んでいません。これは本人やまわりの人だけの問題ではなく、ひとりひとりの心の中にある中絶への偏見と社会的タブー視も問題を複雑にしているからです。
日本における中絶手術とは
日本において中絶手術は、母体保護法によって妊娠22週未満に限り行えるものとなっています。また中絶手術には下記のように法令によって適応条件が定められています(※1)。
母体保護法 第三章 母性保護
第十四条 都道府県の区域を単位として設立された公益社団法人たる医師会の指定する医師(以下「指定医師」という。)は、次の各号の一に該当する者に対して、本人及び配偶者の同意を得て、人工妊娠中絶を行うことができる。
一 妊娠の継続または分娩が身体的または経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのあるもの
二 暴行若しくは脅迫によってまたは抵抗若しくは拒絶することができない間に姦淫されて妊娠したもの
2 前項の同意は,配偶者が知れないとき若しくはその意志を表示することができないとき又は妊娠後に配偶者がなくなったときには本人の意思だけで足りる。
中絶にいたる背景
中絶と一口に言っても、それを決断しなければならない背景はとても多岐にのぼります。未婚の女性であれば、レイプによるものや子供の相手が誰だかわからず一人で育てられないというケースもあります。また彼から中絶を強要されたり、妊娠を知られたら彼を失ってしまうと思い中絶をするケースもあります。既婚の女性であれば、すでに子供がいて経済的に難しいと判断するケース、DVによる妊娠、夫婦どちらかのライフスタイルの変化で子育てが難しいケースもあります。出生前検査の結果を受けての判断もあるでしょう。さらに、妊娠・出産で母体の生命が危ないケースや、不倫で望まぬ妊娠というケースもあります。これらは一例に過ぎず、中絶にいたる背景はひとりひとりの人生の背景でもあるのです。
中絶をどのように決断するのか
中絶を決断するのは、あくまで女性本人です。嫌がっている本人に無理矢理の手術することはできません。しかし本人が決断したのだからと突き放すことは、より本人を追い詰めるだけです。日本では中絶できる時期が法律で決まっています。その限られた短い期間での決断を迫られるのです。
流産と中絶の大きな違いのひとつに、妊娠時のまわりの反応があります。一般に妊娠は新しい命の誕生を意味し、本人もまわりの人もほとんどの人が祝福の気持ちを表します。ところが中絶を考えなければならない妊娠とは、必ずしもみんなに祝福されるとは限らない妊娠を意味します。妊娠した自分や新たに宿った命が素直に祝福されない現実は、想像以上に心が折れるものです。そして妊娠、中絶への恐怖、焦り、この先どうなるかという不安の中で、自分のこと、子供の将来のことを、必死で現実的に考えようとします。また中絶をすることで他者や社会から非難されるのではないか、自分はものすごく罪深いことをしようとしているのではないか、さらには、もう幸せになれない呪縛をかけられるのではないか、などと思い悩む中で決断します。こういう状況では、普通は落ち着いて冷静に物事を考えられないのではないでしょうか。このとき多くの人は自分の感情に蓋をします。そうしなければ迫り来る時間の中で決めることができないからです。そして自分の出した決断に最後まで揺れ動く人や、自分の決断にこれでいいんだと言い聞かせている人が多いことを知ってください。
中絶後のケアが受けにくい理由
中絶に対しては、個々の宗教観や価値観、生命に対する考え方があります。また命の誕生と真逆になり否定的に捉えられやすく、タブー視されてきました。中絶もお腹の子供を失うという喪失体験に変わりはありません。ところが中絶をしなければならないのは自業自得だという風潮もあり、喪失体験自体、社会から受け入れられにくいのが現状です。さらに中絶にいたる理由も、個々人で許容できるものとそうでないものに分かれ、ケアされる対象の人選にも繋がる危険性があります。
中絶を決断した人に必要な心のケア
中絶したことを後悔する人もいれば後悔しない人もいます。また精神的にまだ未熟な人もいて、一般の人の考えとは大きく離れている場合もあります。そういった人に対して個人の考えを押しつけても状況が改善されることはありません。中絶に対する考え方、お腹に宿った子供への気持ち、中絶経験をどのように捉えるかには、正解も正論もありません。ただ、中絶経験やそのときの思いなど、自分ひとりの中にずっとしまい込んでいる人がたくさんいます。カウンセリングなど守秘義務を守られた状態で語ることは心のケアになっていきます。中絶という苦しい決断をした人は、人知れず苦しい思いをし続けていると思われますが、自らが苦しむような人生の選択をし続けなくてもいいのではないでしょうか。中絶を経験した人こそ、心のケアが必要なのです。
[執筆:上土井 好子(公認心理師・心理カウンセラー)]
【註】
※1.『母体保護法』昭和二十三年法律第百五十六号より引用
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