親が我が子を可愛がる光景は見ていて微笑ましいものです。しかしながら、我が子可愛さのあまり、母性が暴走すると様々な弊害が生じます。今回は、母性を暴走させた神のお話です。
■ 鬼子母神の物語
むかし、インドのある王国の王妃は、500人もの子どもがいました。王妃は、大勢の子どもを育てる為に栄養をつけようと、城下の子どもたちを次々と捕えて食べていました。見かねた仏陀は、王妃が一番かわいがっていた、末の子を鉢の中に隠したのです。王妃は半狂乱になり、末の子を探しますが見つかりません。とうとう彼女は仏陀に助けを求めて縋るのです。
「多くの子を持ちながら一人を失っただけでお前はそれだけ嘆き悲しんでいる。それなら、ただ一人の子を失う親の苦しみはいかほどであろうか」
釈迦は諭し、改心をした王妃は、安産・子育ての神様として子どもを守る神様、鬼子母神になったのです(※1)。
■ 神話は心の羅針盤
我が子可愛さのあまり、他人の子どもを捕えて食す。神話の中で鬼子母神は見事な母性の暴走ぶりをみせます。このコラムを読んでいるあなたは、「なんと恐ろしい母親なのだろう」と思われたことでしょう。しかしながら、これは決して神話の中の話だけではなく、現代社会でも同じ現象が起きているのです。自分の子どもが学芸会の主役でないことに腹をたて、学校にクレームをいれる親の心理がいい例でしょう。現代の私達は神話から何を学ぶのでしょうか?
「神話は人間の大きな諸問題を扱っています。(中略)失望、喜び、失敗、あるいは成功というような人生の転機にあたってどう対応すべきかを。神話はいま私がどこにいるのかを教えてくれるのです」(※2)
これは神話学者のジョーゼフ・キャンベルの言葉です。神話の登場人物の中に自分を見ることで、自身を客観的にみるきっかけとなるのです。まさに神話は心の羅針盤なのです。
いかがですか? 誰の心の中にも鬼子母神がいます。もちろん筆者の中にもです。あなたの中にいる鬼子母神のご機嫌はいかがですか? 時として、鬼子母神が牙をむきたくなる時もあるでしょう。そんな時は、鬼子母神の存在に気が付き、認めることが最善策です。あなたの中の鬼子母神を手懐けるのは、あなたしかいないのです。
[執筆:久保木 惠子(コーチ)]
【参考】
※1. 仏教説話文学全集 P.291(株式会社隆文館)
※2. ジョーゼフ・キャンベル,ビル・モイヤーズ, 訳:飛田 茂雄(2010)『神話の力』早川書房, P.65
※写真:PIXTA、本文とは関係ありません